子どもって凄いなと思います。
生まれた日からずっと成長期。
この成長期にさらに上昇ドライブをかけるための養分は目標に向かって努力をすること。
目標を作るきっかけになればと習い事をうまく利用したい親。
けど、それが目標の押しつけになっている場合があると感じている今日この頃。
さて、前回の続きです。
たー君は、スイミングの目標は200m個人メドレーを習得することでした。
未就学の頃は泳ぎを見ていて失望しかなかったたー君でしたが、小2頃から進級テストの度に1番のタイムで帰ってくるたー君。期待に応えてくれるたー君。
期待に応えてくれる子供の姿って親にとって大好物ですね。
ただ、スイミングに関しては、親の大好物のために、最近は目標の押しつけになっていたなと感じています。
たー君が成長するための経験をして欲しいと始めさせたサッカースクール。
技術があった方が楽しいからと毎日、自主練習をさせて、さらに成長して欲しいからと選手登録をさせた。
私主導で導いてきてしまったサッカーだけど、実際、どういう様子でサッカーをやっているのか心配になりました。練習も試合もまともに見に行ったことがなかったので、今回は1時間超見てきました。
練習は、6対6とフリーマン2人でサイドチェンジの練習をしていました。
練習の時は、AチームもBチームも混ざってやります。
たー君のグループの番になりましたが、たー君はなんだかおとなしいです。自信がなさそう、消極的に見えます。
練習自体は難しいことやっていると思うし、Aチームの子もいるので、ミスを怖がっているのかなと思いました。
それでも、ボールが来れば落ち着いてボールを回せる。ルーズボールでも近くにいればボールキープして次につなげていける。
見ていて、技術が足りないと思わないし、周りも見えている。
今からさらに良くなるための技術論、戦術論はいくらでも指摘もアドバイスもできるし、自主練習で修正できるなと思いました。
けど、サッカーに対する感情が見られない。これはどうしたらいいんだろう。
プレーしてミスしても問題ない。
ミスしたら、「ミスった。まずいな」って感情を顔に出して、罵声受けても、もう一回ボール追っかければいいし、成功すれば、次の展開、次の展開って顔つきを変えていけばいい。
ボール触りたい、プレーしたいっていう欲望が、ミスや間違いをするのが怖いという不安を上回るような気持ちの表現を見てみたい。
けど、そういった気持ちを表に出すための指摘も、アドバイスも私にはできないなと思いました。
何をどう伝えたら変わるのか分からない。
サッカーは、技術も理論も大事。けど、それだけじゃ足りなくて、感情がどうしても必要。
感情が表に出ないように見える元イタリア代表のピルロだって試合中は、どんな手を使っても勝ってやるという目をしてたし、勝利目指して泥臭く足引きずって走ってた。
成長するためには目標を作って、達成するための努力が必要。
目標達成するには計画が大事。けど、必ずやってやるんだっていう感情も大事。
感情が出て、理論的な限界を通り越してピンチでもチャンスでも走れた時に、自分に自信がついたり、ピッチの中で景色が違って見えたりする。その時の殻を破っている感覚、成長している実感が味わえるから、サッカーは面白いってのが、私が経験してきたこと。
同じことを経験すればたー君の成長につながると思っていた。けど、なんか感情が足りない。
練習の最後はミニゲームで締め。技術的にやれることは確認できました。
けど、楽しいはずのミニゲームでも感情が足りない。一生懸命なのは分かるんだけど・・・
サッカーを習いに行っているという範疇に留まっている。上達への欲望みたいな心から滲み出てくるものが見えない。
もう技術論、戦術論を言うことは止めました。
練習行く時、試合に行く時に「元気出してやれよ。がむしゃらに活発に動けよ」としか言ってません。
自主練習も私が目標を作っていて、それを押しつけていただけだと感じています。なので、「自主練やるぞ」という声掛けも止めました。
そうして、2週間過ごすとその間、自主練習は1秒もやっていません。
たー君自身がサッカーは習いに行っているので充分だろうという意識で、それ以上でもそれ以下でもないのかなと思います。
次回は、ぴょん子の活動成果会の記事ですが、今回の続きでもあります。